教えのやさしい解説

大白法 426号
 
二箇相承(にかそうじょう)
  二箇相承とは、日蓮大聖人が日興(にっこう)上人を後継者として定められた、『日蓮一期弘法(いちごぐほう)付嘱書』と『身延山付嘱書』の二通の相承書をいいます。
 『日蓮一期弘法付嘱書』(身延相承書)は、弘安(こうあん)五年九月に身延山で認められたもので、
 「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主この法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂(い)ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
  弘安五年(壬午)九月 日
  日蓮花押
  血脈の次第 日蓮日興」
 (平成新編御書 一六七五)
とあるように、本門戒壇の大御本尊と日蓮大聖人の一期(いちご)における仏法の一切を相承された法体(ほったい)・法門の相承書をいいます。
 また、『身延山付嘱書』(池上相承書)は、同年十月十三日の御入滅の当日、池上宗仲(いけがみむねなか)の邸(やかた)において認められたもので、
 「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当(べっとう)たるべきなり。背(そむ)く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
  弘安五年(壬午)十月十三日
  武州 池上 日蓮花押」(同)
とあるように、日興上人に身延山の別当・貫首(かんず)の地位を付嘱され、この唯授一人(ゆいじゅいちにん)の日興上人の御指南に従わない者は正法(しょうぼう)に背く者であると、弟子檀那に対する戒めをも記(しる)された相承書です。
 この両書は、日興上人が晩年お住まいになられた重須談所(後の重須本門寺・現在の北山本門寺)の重宝として格護(かくご)されていましたが、大聖人滅後三百年の天正九年(一五八一)三月、武田勝頼の軍勢に奪(うば)われ紛失してしまったと伝えられています。
 しかし、大聖人滅後九十九年(一三八〇)には、妙蓮寺日眼師の『五人所破抄見聞』に、
 「日蓮聖人之御付嘱弘安五年九月十二日、同十月十三日御入滅の時御判形(ごはんぎょう)分明也(ふんみょうなり)」(富要 四−八)
とあり、また、大聖人滅後二百九十二年(一五七三)には、総本山第十四世日主上人の写し書きが大石寺に蔵されています。その他、当家や他門にも多くの証拠文献が残っていることから見て、二箇相承が確かに存在していたことに疑いの余地はありません。
 大聖人は『一代聖教大意』に、
 「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(平成新編御書 九二)
と、師弟相対の相伝によって、仏法の奥義が伝えられていくことを御指南されています。その相伝には、口伝(くでん)の意義をもつ金口(こんく)と、文献の意義をもつ金紙(こんし)がありますが、金口の内容とする深い仏意が金紙として伝承され、その原点に二箇相承があるのです。
 このように、二箇相承は、唯授一人の相伝のもと、文底下種(もんていげしゅ)の仏法が正しく末代に伝わり、一切衆生を救済されるために残された、御本仏日蓮大聖人の大慈大悲の御金言書(ごきんげんしょ)なのです。